治療方針
歯科医師としての思い
私は、歯科医師の国家試験に合格して約40年が経過しました。
なぜ歯科医師になったのか、そして、今何を思うのか?
父や兄が歯科医師であったということもあって、なんとなく歯科医師の道を選んだようです。大学時代は、ラグビーに明け暮れていました。卒業後、佐賀医科大学の口腔外科の香月教授に声をかけていただき入局しました。歯科医師免許を取得した当初は、とにかく佐賀医科大学の先輩に追いつこうと必死でした。そして、受け持ちの口腔がんの患者さんが治療の甲斐なく亡くなったり、多くの挫折を経験しました。「歯科医療とはなにか」など考えてもいなかったようです。
おそらく、悪いところを治す治療や手術をうまくなることが歯科医師の使命だと考えていたのだと思います。
しかし、多くのことを学んでいくうちに、悪くなってしまった歯や口の病気を治すことだけではなく、歯や口の病気は、予防することができる。歯と口の健康を保つことがその人の全身の健康や生活の質(QOL)に大きく関与していることが分ってきました。
今では、『地域住民の方々の歯と口の健康を守ること』が、わたしたち副島歯科医院の使命と考えるようになりました。最近やっと歯科医師になったような気がします。
昭和58年3月、東京歯科大学を卒業して、5年間佐賀医科大学(現佐賀大学医学部)口腔外科学教室で学び、麻酔科での研修を受けました。救急を含めたくさんの患者様の治療をさせていただきました。たとえば、口の中のがんや良性腫瘍、あごの骨の骨折をはじめとする様々な外傷(交通事故など)、顎変形症、発育障害(奇形)の手術、炎症、親知らずの抜歯、インプラント、顎関節症・・・などの治療に従事してきました。
昭和63年4月17日、縁があって芦刈町で副島歯科医院を開業させていただきました。当初から『家族主義』をモットーにしています。スタッフはもちろんですが「患者さんも家族だと思って丁寧に説明し、やさしく丁寧に最高の治療をすること。そのための努力であれば楽しいはずだ。」というのが僕の口癖でした。
開業当初、私は、一般的な歯科治療を基礎から学びなおす必要性を感じ、納富哲夫先生の ”Japanese Postgraduate Dental Association" で5年間「咬合学」「歯周病学」「小児歯科学」「矯正歯科学」を学びました。その後、日本の代表的な歯科医師の研究グループの集まりである『臨床を語る会』で症例や研究発表をさせていただき、著名な先生方から多くのアドバイスをいただいたり、他の先生の研究発表を見聞きするうちに自分の医療人としての考え方が固まってきたようです。
歯科治療の場合、保険治療と自費治療とがあります。保険治療を軽視する声を聞くことがあります。私はそうは思いません。日本の現状では、保険治療では自費治療に比べ材料などで劣る面はあります。しかし、技術や考え方は同じであるべきと考えています。つまり、「保険でいい治療をすることが歯科医師の使命」と考えるようになりました。
当時、予防という考えは、一般的ではありませんでした。歯のクリーニングとか、お口のメンテナンスを行うという考えがなかったので、最善の治療をしたはずの歯が、数年を経過してダメになって行くことがありました。
そこで、本当の歯科治療のあり方は、「病気にさせない治療」つまり、『いかに患者様の歯と全身を、健康に長く(一生)もたせることができるかがもっとも重要である』と考えるようになりました。つまり、私たちの目標は『歯科の立場で全身の健康を守る』です。